
2003年から2005年までの約3年間、家内と二人でマレーシアに移住しました。ペナン島という小さな島です。
人生は一度きり、せめて日本以外の国に住んでいろんなことを体験したい、というのが短期移住の原点にありました。その意図通り、全く新鮮な角度からの視点はとても良い体験になりました。
今回はブログを通じて、思い出を語りつつ、当時のマレーシアを回想していきたいと考えています。
いまから20年以上前のことであり、その当時のマレーシアの環境や日本との比較など、当時の画像はふんだんにあるので、どんどん掲載していく予定です。

4分の1世紀近い昔のマレーシアやペナン島、さらにはシンガポールなどの古い画像が順次紹介されます。昔を知る方ならとても興味深くご覧になれますね。
マレーシアの基本情報

マレーシアの基本情報
🏖️ 国土は西の半島部(Peninsular)と、東のボルネオ島(Kalimantan)に分かれていて、総面積は日本と大差がない。
🏖️ 日本から飛行機で南下すること約7時間、20年前はなかったペナン行きの直行便は現在あります。最安値で31,000円くらい。
🏖️ マレーシアの総人口は、約3,410万人と推定されています。首都クアラルンプール(KL)には約207万人(2024年統計)が暮らしています。
🏖️ マレーシアは「人種のるつぼ」、それだけに宗教も多種多様です。
2023年のマレーシア統計局のデータによると、宗教別の割合はイスラム教64%、仏教19%、キリスト教9%、ヒンドゥー教6%、その他2%となっています。
マレーシアは多民族・多宗教国家で、イスラム教が連邦の宗教(国教)として定められていますが、信仰の自由も保障されています。マレー系住民の多くがイスラム教、中華系が主に仏教、インド系が主にヒンドゥー教を信仰しているという傾向があります。
懐かしいアルバム~「ペナン島」

ペナンはマレー半島の西海岸、タイ国境近くに浮かぶ島。
タイのバンコクの真南にあたり、カンボジアとの間には大きな南シナ海がある。ちょうど北緯5度あたりがペナンです。


ペナンに初めて来たとき「ペナンは亀の形をしています」とガイドが言っていた。地図を見てなるほどと思う。
総面積は東京の環七以内程度で東西15キロ、南北24キロ、島だけで70万人が暮らしている。
亀の右手にあたるジョージタウン(地図の茶色の部分)はマレーシア第二の商業都市で、近代的なショッピングセンターが多い。かつて、ヤオハンやSOGOなどがあったため、大きいショッピングモールには、日本の製品や食品が数多く並び、各国の食品専門店もある。(現在は町全体が”ユネスコ世界文化遺産”)
町の中心部と、北端(亀の頭)部には五つ星四つ星のホテルがひしめき合っている。特に北部には有名なラササヤンホテル、ゴールデンサンドリゾートホテル、ムティアラホテルなど高級感と南国情緒豊かなホテルが立ち並んで一大観光地を形成している。
開発が早く夜景が美しかったせいか、または半島から見て指輪のように見えたのか「東洋の真珠」と古くから呼ばれている。日常生活は英語で事足り、医療レベルはきわめて高い。台風や地震がなく英国植民地時代の香りが強く残り、イスラム・マレー・インド・中国など多種の文化、宗教、人種がお互いを尊重しつつ共存している。これほどたくさんの国の文化が、社会的バランスよく構成している国は見たことがない。
街は英国統治時代のコロニアル建築が並んでいたり、街中の大通りには樹齢100年クラスの街路樹が整然と並び道に影を落とす。
市中を散策すればエキゾチックな雰囲気が思い切り味わえるだろう。しかし、老朽化もあり街は開発の波に洗われ始めている。近未来、加速度をつけて再開発される可能性がないでもない。
島と半島は橋で結ばれている。総延長13.5キロ。ペナン島は比較的治安がよく、日系企業が多く進出している。日本人が1,300人ほど住んでいるという。
【注釈】ペナン州全体(島部と本土側)ではなく、「ペナン島(島部のみ)」の人口は現在、約80万人〜81万人程度と推定されます。
2025年9月の現地報道(Bernama)によると、マレーシア全体の日本人居住者は約2万人〜2.4万人(外務省統計等)であり、そのうちの約15%前後がペナンに集まっていることになり、ペナン州には約3,000人の日本人が居住・就労していると述べられています。
それではボチボチペナンの紹介をしていきましょう。
約20年前に撮影した当時の写真を紐解きながら、思い出を語るスタイルにしましょう。
絶滅危惧種だった「トライショー」
トライショーという乗り物はペナンの名物でした。マレーシアの「トライショー(Trishaw)」を一言で言うなら、「東南アジア版の自転車タクシー(人力車)」です。
マレー語では「ベチャ(Beca)」と呼ばれ、かつては庶民の大切な足でしたが、現在は主に観光用のアトラクションとして親しまれています。

20年前のペナン島、ジョージタウンの街角にカラフルに飾られたトライショーが並んでいた光景は、まさに島の象徴でしたね。
この写真は、現地の結婚式のワンシーン。外で大量のトライショーが待機していますが、このあと一族の祝賀パレードを待っているところです。
当時はまだ「日常の足」としての機能がわずかに残っていましたが、現在はその役割が大きく変わり、風前の灯火とも言える状況にあります。その歩みと衰退の歴史を紐解いてみましょう。
かつては数千台を数えたトライショーも、時代の流れとともに急激に減少しました。
| 年代 | 推定台数 | 主な役割 |
| 1950年代 | 約2,500〜3,000台 | 市民の主要な交通手段 |
| 1970年代 | 約1,500〜2,000台 | バスや自家用車の普及により減少開始 |
| 2000年代初頭 | 約300〜500台 | (私たちが訪れた頃) 観光用へのシフトが始まったころで減少中でした。 |
| 2020年代現在 | 約150〜200台以下 | 絶滅危惧の状態。ほぼ完全な観光資源 |
トライショーがなぜ減っていったのか、そこにはマレーシアの急速な近代化が背景にあります。
1. 1970年代〜:モータリゼーションの波
1970年代に入ると、マレーシア政府は公共バスの整備や自家用車の普及を推進しました。安くて速い移動手段が登場したことで、人力のトライショーは「効率の悪い乗り物」として敬遠されるようになりました。
2. 2000年代:観光化と生活からの乖離

20年前(2000年代半ば)は、ちょうど「生活の足」から「観光のアトラクション」へ完全に切り替わった時期です。
2008年にジョージタウンがユネスコ世界文化遺産に登録されたことで、トライショーは「保存すべき文化」となりましたが、一方で地元の人が買い物や移動に使う光景はほとんど見られなくなりました。
3. 車夫の高齢化と後継者不足
これが最大の原因です。トライショーを漕ぐのは重労働であり、若者はより条件の良い工場勤務やサービス業に流れていきました。現在、ペナンの車夫の多くは70代、80代の高齢者であり、彼らが引退すると同時に車両も消えていくという厳しい現実に直面しています。
2000年代は、まだ「トライショーのたまり場」が街の至る所に残っていました。

- ペナン・ロード(Penang Road)
- チュリア・ストリート(Chulia Street)
- フェリー乗り場付近
これらの場所に数十台が列をなして客待ちをしていたため、視覚的なインパクトが強かったのだと思われます。現在は、特定のホテル前や壁画スポット周辺に点在するのみで、かつてのような「街中どこにでもいる」感覚は薄れています。
豆知識: ペナンのトライショーは、客席が運転手の「前」にあるのが特徴です。これは、マラッカのトライショー(運転手が横や前)とは異なる、ペナン独自のスタイルです。
あの”の~んびりしたベルの音や車夫との駆け引き”は、今では貴重な歴史の一部になりつつあります。

いよいよペナン島の紹介が始まりました。これからのページは「食」や住まいとかゴルフとか・・・、当時の画像を使って総ざらいしていきます。
