
今回からしばらくの間、数枚の写真をピックアップ、1枚ごとに思い出を書き連ねていこうとしています。今回はその第1回です。
3年間という短期移住をして四半世紀経った今、ペナン島には懐かしさだけが残っています。なのでたくさん手元に残された写真も、1枚ずつが大切で思い出がこみあげてきます。
ページごとに統一感はありません。バラバラでそれぞれつながりのない「思い出アルバム」の紹介です。
懐かしいあの頃~四半世紀前の懐かしきペナン島
2002年のペナン島といえば、まだ観光地としての発展が現在ほど進んでいなかったものの、独特の魅力にあふれていました。当時のペナン島は、どこかのんびりとした空気が漂い、ローカルな文化と自然が調和した素朴な雰囲気が印象的でした。
ジョージタウンの街並みは、歴史的な建物とカラフルなショップハウスが立ち並び、歩くだけでタイムスリップしたような気分に。まだ観光客も少なめで、地元の人たちの日常がそのまま感じられる場所でした。
屋台で提供されるナシカンダールやチャークイティオなどのローカルフードも、手頃な価格で楽しめて、食べ歩き好きにはたまらない環境でしたね。

この画像は、マレーシアのペナン島にある有名な観光地、ガーニー・ドライブ(Gurney Drive)の海岸沿いの風景です。
散策スポット: 海沿いの遊歩道は、景色を楽しみながら散策するのに人気の場所です。夕方になると恋人たちが海を見に訪れます。
海岸沿いには近代的なコンドミニアムやホテルが立ち並んでいます。このエリアは、ジョージタウンという世界遺産地区の近くに位置しています。
ガーニー・ドライブ周辺は屋台街(ホーカーセンター)としても有名で、「食の都ペナン」を象徴する地元の屋台料理を楽しむことができます。(2003/3/27)
ビーチエリアではバトゥフェリンギが人気でしたが、今よりも静かでリラックスした印象。サンセットを眺めながら海風に吹かれる時間は、まさに至福そのもの。
全体的に、2002年のペナン島は「人々の温かさ」と「自然の美しさ」が際立つ、心温まる場所だったと言えるでしょう。
私がペナン島に移住したころ、ペナン島の日本食レストランは意外と多く、島内に12店舗もありました。(2025年には55店もあるとか!)主な客層は、ペナンに駐在していた日本人ビジネスマンや観光客でした。
現在でも老舗店としてオープンしている、キリシマ(Kirishima=上の画像は当時) はCititel Penangホテル内に1998年以降ずっと営業しています。ペナンで一番好きな和食レストランで、何度訪れたのか数えきれないほどでした。


自宅のコンドミニアムから車で20分ほどの距離がありました。酒を飲むときはタクシーですが、当時は500円ほどで済んでいました。
のかかる3年間という短期移住をして四半世紀経った今、ペナン島には懐かしさだけが残っています。なのでたくさん手元に残された写真も、1枚ずつが大切で思い出がこみあげてきます。

<当時のメモ書き>
壁にはズラッと『久保田』が並んでいる。キープしてるのかもしれない。
何度もお邪魔しているが味はどれも折り紙つきである。

<昔のメモ書き>
日本人の好きな店 in Penangというと出てくるのがこの霧島(Citi Tel)とラササヤンホテルの「和歌」かも。
島には他にも10店以上あるらしいがいまだ未踏破状態。これから順番に行ってみよう。ワクワク。

ミナミマグロ(インドマグロ)は日本のはるか南方で獲れますが、ペナンではすぐお隣の海域。スーパーでもヤミでも手に入ります。味は極上、日本国内ではなかなか?
私はカツ丼御前が大好きで、茶碗蒸しまでついて当時21RM(630円)というお値段。でも地元では高い。


「KIRISHIMA 霧島 Japanese Restaurant」は日本人旅行者も気に入る日本食レストランです。刺身や天ぷらの仕上がりは本格的で、日本国内の高級店以上という口コミもあります。調理は日本人の一流シェフで、当時のオーナーさんは沖縄の方でしたが今はわかりません。なによりスタッフの対応もよし、店内が落ち着いた雰囲気の中でゆっくりと食事を楽しめました。鍋物まであります。
移住し始めたころ、素朴な疑問が浮かびました。そもそも「Penang」ってどんな意味があるのかな?ということでした。

<この当時に書いたMEMO>
ビンロウジュ(檳椰子)は「ペナン」の語源だと何かで読んだことがある。もちろんこちらに来てから。そのときからビンロウジュ?どんなものかと興味はあった。
このころ、プールサイドで庭園の管理をしている体格のいいインド系マレーシア人と仲良くなっていた。彼は働き者で夜は露天の時計屋さんでもある。
ある日、紙に「Penang」文字を書いて「これ知ってる?」と訊いた。彼は「Follow me」と言って歩き始めた。行った先は自分の住んでいるコンドミニアムの裏手。ここは山側に面している。目と鼻の先に樹木があり、それが「檳榔樹(ビンロウジュ)」だと知った。
いろいろ調べてみた。
幹だけ見てると太い竹、上を見上げると大きな椰子の葉があった。単子葉植物のなかで竹は「いね目(もく)」椰子は「やし目」で仲間のようなものらしい。似ているはずだ。
マレーシアやインドが原産で東南アジアに広く分布し、北は小笠原や沖縄、東はサイパンにもあるらしい。春先になると50センチほどの花が咲き、やがて3センチ大の果実がたくさん生る。
もともとはこの果実を「檳椰子」と呼んでいた。南方の原住民たちはビンロウジュを歯で半分に割り、その間にサンゴを焼いて作った石灰(ライム)と胡椒科の植物の葉や煙草(メンソール)などを挟んで 噛む人がいるそうだ。
聞いただけでもまずそうだ。まずいものでもこれが病みつきになるらしい。噛みタバコのようなものかと想像している。学名はAreca catechuで、英語の呼び名はBetel Parm。
ペナンと言うくらいだからビンロウジュがたくさんあるのかと思ったが、現在はそれほど目にしない。椰子でも似たようなものがたくさんあるので目立たないのかもしれない。
ペナン島(Penang)の名前の由来と用途

その語源はマレー語の「Pulau Pinang」にあります。
「Pulau」は「島」を意味し、「Pinang」は檳榔樹(ビンロウジュ)を指します。つまり、ペナン島の名前は「檳榔樹の島」という意味になります。このことから、ペナン島はその昔、檳榔樹が豊富に生えていたことがうかがえます。
※18世紀後半、フランシス・ライトがこの島を拠点にすると、英語表記で「Penang」と記されるようになります。(Pinang → Penang への転写)
檳榔樹(学名:Areca catechu)は、東南アジアを中心に広く分布するヤシ科の樹木です。この木は特にその実である「檳榔子(ビンロウシ)」が有名です。檳榔子は古くから東南アジアや南アジアの文化において重要な役割を果たしてきました。特に、噛みタバコとして使用されることで知られています。檳榔子を噛む習慣は、口内を清潔に保つ目的や覚醒作用を得るために行われており、一部の地域では儀式や社交的な場面でも用いられています。
また、檳榔樹はその実だけでなく、他の部分も有用です。例えば、木材は建材や家具として使用されることがありますし、葉は屋根材や包装材として利用されることもあります。このように、檳榔樹は地域社会にとって非常に実用的な植物です。
ペナン島は現在では観光地として有名ですが、その名前が示す通り、自然と人々の生活が密接に結びついていた歴史を持つ場所でもあります。檳榔樹のような植物が地域文化や経済に果たした役割を知ることで、その土地の背景をより深く理解することができるでしょう。

夏目漱石の小説に登場する「檳榔樹」
夏目漱石の作品において「檳榔樹の杖」が登場するのは、短編小説『夢十夜』の第一夜です。この作品は、漱石が描く幻想的な夢の世界を通じて、人間の心理や哲学的なテーマを探求した連作短編集であり、独特の叙情性と象徴性が特徴的です。

『夢十夜』第一夜の冒頭は、語り手が「こんな夢を見た」と述べるところから始まります。物語は、語り手が女性の死を看取る場面を描写し、その中で「檳榔樹の杖」が重要な象徴として登場します。この杖は、女性が死後に語り手に渡すことを約束するものであり、不思議な運命と時間の流れを暗示しています。
物語の中で、女性は自分が死んだ後、百年経ったら再び現れると語り、その際に檳榔樹の杖を手渡すと約束します。この約束は、愛や記憶、そして時間の超越性を象徴していると解釈されることが多いです。物語の終盤で語り手が墓前に立ち、百年後を待つという描写は、漱石特有の神秘的な雰囲気を醸し出しています。
「檳榔樹の杖」という具体的なアイテムが持つ象徴性については、多くの解釈が存在します。一説では、この杖は生命や死後の世界への橋渡しを表しているとも考えられています。また、檳榔樹自体が南国の植物であることから、現実離れした異国情緒や非日常性を強調する役割も果たしていると捉えられるでしょう。
『夢十夜』第一夜における「檳榔樹の杖」は、漱石の文学的技巧や象徴表現を理解する上で欠かせない要素です。この短編全体が放つ夢幻的な雰囲気とともに、読者に深い余韻を残す要因となっています。
かつては生活文化に密着した植物でした。

日本食の食材は主だった7か所の大きなスーパーには必ずありました。でも値段はとても高かったですね。
画像はジョージタウンにあるGAMAスーパーマーケットで、一般的な日本の調味料や食材が取り揃えられており、地元住民や観光客に人気がありました。
しょうゆ、味噌、みりん、そしてたくさんの種類の酢など、乾燥海藻や日本米、そば、うどんなどの主食も手に入れることができました。特に観光客にとっては思い出深い品となっていました 。

2003年頃の屋台(移動しない)の様子です。町の軽食屋という感じ。
店名の「KASSIM NASI KANDAR」はマレー語とアラビア語の混在した看板でこの町の特徴が出ていますね。まさにこの町の文化なんです。
画像から屋台ならではの臨場感や、多様な料理メニューが提供されていることがわかります。
当時のペナン島の地域文化を感じさせる貴重な一枚だと言えます。

こちらは街中のスーパーマーケット。大きなところは5か所くらいあり、かつては日本人の経営だったのもあった。品数豊富で買い物に不足はなかったし、とにかく安い!!

ハイビスカスの華やかな花弁、鮮やかな赤と黄色の色彩、青空を背景に輝く緑の葉。
やはり花は南国がきれいです。
日本では温室しか見られないが、ペナン島ではどこでも咲いている。
陽気がいいのかひときわきれいだ。
ハイビスカスの華やかさと南国の陽光に包まれた優雅な姿がこの画像に表現されている。ハイビスカスやブーゲンビリアはまさに南国の情緒を感じさせる花です。

この画像は2002年頃のマレーシア、ペナン島の空港の様子を捉えたものですね。
空港内部は明るく広々としており、ゆとりのある雰囲気が感じられます。画像の中央には女性が歩いており、当時のマレーシアの経済発展を反映した、魅力的な空港の様子が捉えられているのがわかります。

いかにもローカルなゆる~い町、ペナン島の雰囲気を伝える看板ですね。赤い三角形の道路標識中に”Chicken Crossing”と書かれています。
「鶏が横切るよ|注意!」と言いたいんですね。ここでは面白い表現で旅行者の目を引くことでしょう。”Nando’s-“と書かれているので、近くにあるレストランが出しているんでしょう。

コンドミニアムのバルコニーから時々見ることができる「雄大なマラッカ海峡の夕焼け」。
延々と数十kmは見られたのかもしれません。画像では伝わり切れない迫力がありました。

値段が高くて参ったのは「酒類」だった。日本酒や焼酎は日本国内と全く一緒。ほかが安いから同じでも不満な気になる。(^^)/

こちらはガーニードライブ(コンプレックス=複合商業施設)にある「たこ焼き屋台」ここ以外にもたくさんある。
ペナンの人はたこ焼きが好きなのかな?
